ニコラ・ゴンベール Nicola Gombert

7.6ワークショップで歌うニコラ・ゴンベールという作曲家について調べてみました。

ニコラ・ゴンベール Nicolas Gombert
(c.1495 - c.1556)

フランドルの作曲家。ジョスカン・デプレの弟子。
1526年より神聖ローマ皇帝カール5世(シャルル・カン)の礼拝堂に仕え、1529年に聖歌隊長になる。後にトゥルネの司教座聖堂参事会員にもなっている。1537年、20人の歌手とともにスペインに渡り、マドリッドの皇帝礼拝堂に地位を得たが、1540年、聖歌隊少年とのわいせつ行為のために追放される。
その音楽は、暗い陰りと緊密なテクスチャーにより高く評価された。ミサ曲10、モテット160、聖歌、シャンソン約80を遺した。( Encyclopedia of Music, ed. by David Cummings, Helicon )

<補足>
追放に関して:
追放され、ガレー船での強制労働の罰を課される。1547年頃に恩赦を受けたらしい。カルダノCardanoの証言によれば、自作のマニフィカトMagnificatを皇帝に送り、皇帝がその曲に深く感動したためという。( Wikipedia Italiaより)

作品に関して:
彼の世俗曲にはクレマン・ジャヌカンのようなきわどい歌詞は見当たらず(「私の煙突を掃除してよ.....」)、むしろ悲哀を帯びた歌詞が多い(「私は別れを告げた、深い悔恨が.....」)。物理学者ジェローム・カルダンによると、ゴンベールはメランコリー発作の後遺症で死したという。
ジョスカン・デ・プレの明快な作曲法のあと、ゴンベールの様式は、オケゲムを思わせるような、非常に厳密で凝縮したポリフォニーへ回帰しているのが特徴である。宗教曲には最高度な模倣技法を取り入れた。どのパートも常に運動しているため、延音記号(フェルマータ)がほとんど見られない。不協和音の扱い方ではゴンベールはパレストリーナの先駆者である。(Wikipedia Franceより)


*正確な詳細については専門書でご確認ください。



Cristobal de Morales

5.25ワークショップで歌うクリストバル・デ・モラレスについて調べてみました。

クリストバル・デ・モラレス Cristobal de Morales (1500-1553)

1500年代前半の声楽曲において、もっとも重要なスペインの作曲家。

生涯
セビリア生まれ。22歳の時よりオルガン奏者となる。ローマに10年間滞在したとき、パウロIII世のもとで歌手をしていた(ローマの教皇礼拝堂では伝統的にスペインの歌い手が歌っていた)。スペインに戻り多くの仕事をして、ヨーロッパの主要な作曲家のひとりとみなされるようになる。理論家のJuan Bermudoは彼を「スペイン音楽の光」と言っている。1553年トレドで教会付き楽長の地位を願い出たが、その後時を経ずして死去した。
1559年メキシコでのカルロスV世の選出の際にはモラレスの音楽が演奏された。

作品
ほとんどが、声楽宗教曲であるが、スペインでは声部の伴奏として楽器が使われることが多かった。100以上のモテット、18のマニフィカトを書き、聖週間のためのエレミア哀歌の歌詞に音楽をつけた。マニフィカトは今日もっともよく演奏される作品である。
22もある彼のミサ曲は多様な技法を用いている。そのうち6曲はグレゴリオ聖歌の旋律に基づき、大体伝統的なやり方で定旋律の技法を使っている。8つのミサ曲では、パロディーの技法が使われている。なかでも6声のミサ曲は有名なシャンソン"Mille regrets" ー ジョスカン・デプレの作とされ、カルロスV世が好んだ ー のテーマに基づき、全パートでそのテーマが現れる。モラレスはまた"l’homme armé"の旋律 ー 15世紀後半からとくに16世紀にかけてミサ曲作曲家によく使われたシャンソン ー に基づくミサ曲も2曲書いている。そのうち4声のものはテーマを定旋律として使い、5声の方はテーマをより自由に使って、パラフレーズ手法に近づいている。最後に二つのミサ、Requiemおよび同リズム的技法が見られるOfficium defunctorumを書いた。

技法
モラレスの技法は、ニコラ・ゴンベールなどのフランス・フランドル派の同時代作曲家より、続く2世紀に現れる音調の調和という技法により近い。その上、彼において和声は、たとえばトマス・タリスのような同時代のイギリス音楽よりもより自由になっている。モラレスのリズムの自由さは特徴的である。たとえば「3対4」のようなポリリズム(曲の中で様々なリズムが同時に生じること)の使用や、ひとつの声部のリズムを他の声部のリズムから分離独立させることなど。晩年は対位法の使用は少なくなり、より簡素で同リズム傾向のスタイルになる。いずれにしてもモラレスは常に、歌詞の意味や言葉の理解に注意を払った。これはすでにジョスカン・デプレに見られるが、パレストリーナや世紀後半の他の作曲家の特徴となるものである。

モラレスは国際的に影響を及ぼした最初のスペイン作曲家であった。死後も長い間高く評価された。その作品はヨーロッパ全土をめぐり、たくさんのスコアが新世界にもたらされた。Francisco Guerrero, Tomas Luis de Victoriaとともに16世紀スペインのもっとも重要な3人のポリフォニー作曲家の一人である。(Wikipedia Italiaより )


*専門的な詳しい内容については専門書でご確認ください。




Heinrich Finck という作曲家

5月3日(土)のワークショップで歌う Heinrich Finck という作曲家について調べてみました。

Heinrich Finck (1444 または 1445 バンベルグ〜1527 ウィーン)

ルネサンス期のドイツの偉大なポリフォニー作曲家のひとり。フランス・フランドル楽派の影響を受けている。その様式から、ヨハンネス・オケゲムとジョスカン・デ・プレの中間に位置づけられる。弟子のThomas Stoltzer は16世紀に著名な作曲家になった。
ポーランド王国宮廷、ザルツブルグ司教大公の宮廷、ウィーンのハプスブルク家宮廷で、楽団員や楽長として活躍した。
ミサ曲、モテット、聖歌、ドイツ・シャンソンなど多彩なジャンルにわたる宗教曲・世俗曲を多数書いた。

(Wikipedia Franceより)



Pierre de la Rue という作曲家

4月6日のワークショップで歌う曲の作曲者 Pierre de la Rue について調べてみました。


ピエール・ド・ラ・リュ Pierre de la Rue
(1460年頃〜1518年)生年は1450年頃とも。

ジョスカン・デ・プレと同世代で、アグリコラやイザークらとともに1500年代のフランス・フランドル楽派を代表する一人。Pierchon、Pieter van Straeten, Petrus Platensis、de Vicoなどの名で呼ばれることもある。

ブルゴーニュ宮廷のトランペット奏者であった父のもとにトゥルネで生まれ、町のカテドラルで音楽的な素養を培った。1483年〜1485年、イタリア・シエナのカテドラルに歌手として雇われる。1493年より神聖ローマ皇帝マクシミリアンI世に、 彼の死後は息子のフィリップ・ド・ボーに仕える。その間スペインやイギリスなど各国に旅行した。
二度のスペイン旅行の際、同時代のフランス・フランドルの作曲家たち(ジョスカン、イザーク、ロベール・ド・フェヴァンなど)に出会っている。

ミサ曲31、モテット約30、マニフィカート8、 フランス語またはフラマン語によるシャンソンをおよそ40作曲した。大体は1500年頃に広まっていた様式傾向に即している。
ミサ曲は大部分4声または5声だが、オケゲムに匹敵する難度の6声のカノンを持つミサ曲もある(Missa Ave sanctissima Maria)。定旋律を用いたものが大半だが、パロディー・ミサもある。
モテットの大部分は4声で通模倣様式が使われるが、ジョスカンのように最初にはめったに出てこない。
シャンソンは多様で、後期ブルゴーニュ楽派に似たものや、ポリフォニックなスタイルを使ったものもある。

ラブレーはその書の中でこの作曲家に言及し、ジョスカン・デ・プレは「オケゲム追悼の哀歌」Deploration sur la mort de Johann Ockeghemの中で、彼の名を挙げている。
「喪服をつけたまえ、ジョスカンよ、ピルシューよ、ブリュメルよ、コンペールよ。涙を流したまえ......」


参考:
-Jean-Marc Warszawski 2003, in ”Musicologie,org”
-Wikipedia France





Clemens non Papa という名前

1.12ワークショップでは、クレメンス・ノン・パパ Clemens non Papa の曲を歌いますが、この作曲家のこの名前、前から気にかかっていました。

画家のブリューゲル父子のように、クレメンス という作曲家は同名の親子がいて、父親でない方のクレメンスのことをノン・パパとつけて呼んでいた……と根拠もなくほとんど信じていました。

そこで調べてみました。以下引用。

Clémens non Papa, Jacobs (1510年頃〜 1555年頃)
フランス・フランドル派の中でも傑出した作曲家。あらゆるジャンルの曲を多数作曲したが、とりわけ教会音楽において秀でていた。
ヤコブス・クレメンスがクレメンス・ノン・パパ Clémens non Papa と自称したのは、ヤコブス・パパ Jacobus Papa (Ypres出身の聖職者・詩人)との混同を避けるためである。あるいは、よく信じられているように、教皇クレメンス7世(le pape Clément VII) と混同されないためだったかもしれない。それはたぶん誤りだが。ちなみに彼はクレマン・ジャヌカン Clément Janequin と混同されたこともあった。

14のミサ曲、15のマニフィカト、210のモテット(3~8声)、85のフランスシャンソン、8のネーデルランド世俗曲、そして器楽曲をいくつか作った。旧約の詩編をフラマン語に翻訳し、世俗曲のメロディーで編曲する(3声)という試みもしている。

パレストリーナを予告する模倣様式の中で、簡潔でシンプルでいながらメロディー性の高い主題を用いた。表現効果を出すところでは2拍子と3拍子を交差させたりと、模倣の技法を巧みに実践した。
 (Pierre-Paul LACAS, Encyclopedia Universalis より抜粋)


というわけで Papa という別の作曲家がいたのですね。色々調べてみると「教皇ではない方の」という説をとる解説もありました。どちらにしても「パパ(父親)じゃない方の」という意味ではないのは確かでした。(ひょっとしてこれらのことはすべて常識?)



プロフィール

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Author:polyphonylabo
研究会といってもアカデミックな研究をするためではなく、西欧ルネサンス期のポリフォニー曲を歌う機会をより多く持つために作られました。
基本的に、講師を招いてワークショップ形式で行い、一回で最低1曲は仕上げることを目指します。

複数の旋律が絡み合い呼応し合うポリフォニー音楽の素晴しさを多くの人と共有できたらと願っています。

毎月のワークショップの詳細については、カテゴリの「ワークショップ」をクリックするとご覧いただけます。


お問い合わせ
ルネサンス・ポリフォニー研究会(代表 天野)
メール:polyphonylabo@p06.itscom.net
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